私の坐禅は、薄い坐布団に半跏趺坐(はんかふざ:左の足を右の腿に深くのせ)で坐り、もう一枚の二つ折りした座布団を尻に当て、脊梁骨を真っ直ぐに立てて、気海丹田(下腹)に気を満たして、吐くとき下腹にぐいぐいと最初は強いが、次第に弱く、静かに細く長く、入る息は自然に入るにまかせるが、慣れてくると、呼気も吸気も自然と下腹に軽く力が入ったままできるようになる。始めは目を閉じるが、落ち着いてくると、自然に開いて1メートル前方におとす。

沸いてくる念を放下して、ひたすら続けると念は止み、心は平静になり、やがて出入の息のなかに身も心もゆだねてしまう隋息観に入る。普段はこのあたりで1進1退が続いて坐禅を終えるが、ある2月の寒い夜、自室にて寒さに負けまいといつもより気合いを入れて、少しも動かず坐ってから45分が経った頃、今までとは充実感が違うので、少し休んでから坐り直して一段と精彩を放ち気力を尽くしていくと、手や足が体のどこにあるのか分からないようになって、三昧に入った。でもこの先にまだ何かある、この機を逃がすまいと、頭のてっぺんから足の爪先まで体中まるごとになって全霊を尽くしていくと、一息が止み、全身の細胞から精気がみなぎり、いままで経験したことがない何ともいえない気持ちになった。頭は明々白々、体は分からない、ハっと我に返り心を探したがどこにも無い、これだと思って、後の参禅入室でその見解を呈示したところ、OKがでて、次の無字公安をいただくことになった。

“無”の公安は、無門関の第Ⅰ則にある。無門関とは中国宋代に無門慧開禅師(今から700年程前の人)によって編集された公安集で48もの公安が様々な語録から選ばれ、それぞれに頌(じゅ:ほめる)と評唱が付けられていて、特に第一則の「趙州狗子(狗子仏性、趙州無字)」の公安は(犬にも仏性はあるか)に対して“無”と答えた、というだけの内容になっている。

老子が提唱した話を簡単にまとめると、趙州和尚(お釈迦様より37代目の祖師)に1人の僧が迷っている自分に仏性(キリスト教でいえば神)があるか、を犬をもってきて質問したところ、趙州和尚はただ“無”と答えた、この問答は無門禅師から更に400年前のもので、これを自らの公安としてこのようにして自分は透過したんだという事実を述べている。その内容が修業僧にとって3年、5年又は10年かかる程の大変厳しいものになっている。

透得過すれば歴代の祖師、達磨様、お釈迦様と共に手をとって同じ眼、同じ耳で世界をみることができる。こんな愉快なことはない。さーどうだ皆もやってみよとなっている。禅者に最初に与えられる難問となっていて、これが解ることを見性、悟りといい、他の公安は無字の串団子(応用問題)といわれている。私ら在家の身で到底及ぶものではない。

又、禅の世界では専門僧が長いあいだ鍛え抜いて練り上げた禅定三昧によって無を透過しても、「百尺竿頭一歩を進めて、無をも超脱した境界いかん」と更に迫られて,本物の禅僧になっていくようです。私の場合そのようなものとは全く別で、仁王禅のような、俄かつくりの薄っぺらなもので慢心してはいけない、とお示しになったと思っています。
(続く)
 

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